Achan_11’s blog

気ままな日記

いつから結婚できない女になったのか

10代の頃。

 

20代で結婚し、子供を産んで

生活していると思ってた。

 

田舎生まれ田舎育ちの私は、

何の疑いもなくそんな未来を描いていた。

 

18で大学進学の為、上京。

 

親元から離れた生活

徒歩圏内で買い物に行ける街

日本中から人が集まる東京は

刺激的だった。

 

大学生になり、恋人もできた。

色々あったが、3年くらい付き合った。

 

20代になって

しばらくは結婚について考えることがなかった。

 

とにかく

今の環境、友達、恋人といる時間すべてが楽しくて

それが永遠に続くかのように思っていた。

 

3年生になって就活が始まり

嫌でも自分の人生と向き合うことになる。

 

そんな時、

子供が出来て休学した友達がいた。

 

この頃から少しずつ

「結婚」が現実味を帯びてくる。

 

自分事として考えるようになってきた。

 

私自身すぐに結婚という話もなかったが、

色々と想像した。

 

彼は、同じ大学生。

何かと考えすぎる私と正反対で、

いつも笑わせてくれる人だった。

 

彼の実家は江戸時代から続く農家で

車で移動するほどの土地があった。

将来は家業を継ぐと言っていた。

 

彼の実家に遊びに行くこともあった。

家族仲がとてもよくて

結婚したらこの敷地内に家を持って

この輪に入るのだろうと想像できた。

 

端から見れば申し分ないのだが、

私にはトラウマがある。

 

少し私の生い立ちの話をする。

父方の祖父、祖母、父、母、妹、私の6人家族だった。

 

私が幼い頃、

一軒家の一階に祖母が、両親・私・妹は2階に住んでいた。

当時、台所とお風呂は離れにあって、昔ながらの土間って感じだった。

祖父はそこに住んでいた。

 

母は嫁いでから専業主婦となった。

自分が寂しい思いをしたから子供の側にいてあげたかったんだそう。

 

祖父と祖母はいつも

些細な事で怒鳴り合いの喧嘩をしていた。

 

祖父は大酒飲みで

理不尽に手をあげることはなかったが、

祖母が口悪いので手を上げては

父が怒鳴って止めに入るのが日常だった。

 

私が小学生の頃に、新しい家を建てた。

 

祖父と祖母が1階に、私たち4人は2階に住んだ。

私と妹にも部屋が出来た。

 

父は昔の亭主関白そのもの

祖母はTHE・田舎の小姑で

近所の噂話を聞いてはそれを言いふらす

タチの悪い婆だった。

 

と言いつつも、

この頃まではわりと順風満帆だったと思う。

 

私が高校生の頃だったかな。

 

両親の喧嘩が多くなった。

喧嘩の理由は、お金のこと。

 

詳しく聞いたことがないので定かではないが、

子供の目から見た限り

母が相談しようと父に話しかけると

そんなことは分かってる!うるせぇ!と怒鳴り

茶碗をぶちまける、毎回そんな感じだった。

 

父は暴力こそ振るわないものの、

物に当たる人だった。

 

昔から父は話し合いというものが出来ない。

何か気に障ることを言われると

怒鳴って突き放す、そういう人だった。

 

壁には汁物が飛び散り、茶碗が転がる。

 

この頃の私は意外と冷静で

なんで父は話を聞かないのか、

母ももっと怒ればいいのに、と思っていた。

 

子供ながら、

間に入ってみたこともある。

 

ママが話したいのはこういうことで

パパを責めているわけじゃないのに

どうして話ができないの、と。

 

子供には分からない、黙ってろ、と言われ

まぁ子供に言われたくないよな、と思いつつ、

この頃には親が思っているよりも

子供は客観的な目を持っているものだと

我ながら思っていた。

 

母は怒らない人だ。

本人曰く、結婚するまで怒鳴り合いの喧嘩を見たことがなかったから

どうすればいいのかわからないのだという。

 

加えて、前述の通り

話しても無駄だ、という諦めが先にきてしまうのも分かる。

 

結局まともな話し合いなど一度も出来ず、

父が言い放った「お前が働けばいいだろ!」の言葉を聞いてか

母が働きに出るようになった。

 

ちなみに父は家のことは一切しない。

 

母は専業主婦の頃から

家事をしっかりやる人だ。

夫や子供の為に尽くす人。

 

だからなのか、

お恥ずかしながら私は

自分のことは自分でやるというのを

知らなかった。

 

母は働きに出てからも

朝は父と娘二人のお弁当を作り、

帰ってきてからも夕飯・洗濯・アイロンと

家事全般抜かりなくこなした。

 

私は気づけなかった。

これがどんなにしんどいことか。

 

少し夕ご飯が遅くなった時に

母に言ってしまったことがある。

 

「だってママの仕事でしょ。」

私の一生の後悔だ。

 

これまたお恥ずかしい話なのだが、

私はそれまで人の立場になって

考えるということを知らなかった。

 

母が何不自由なく何でもしてくれたからだ。

おなかが空けばご飯が出てきて、

食べ終ればお風呂が沸いていた。

 

その言葉を言った瞬間に

ようやくハッとした。

 

次の日から

母の帰りが遅い日は

夕飯の支度をするようにした。

 

この頃、母はよく洗濯物を畳みながら寝てしまっていた。

今思えばそれも手伝えばよかった。

後で聞けば、この頃の睡眠時間は毎日3時間程だったそう。

 

つくづく弱音を吐かない人だなぁと思う。

 

そんな日々が続いた後か前か

今となってはわからないが、

この頃父が鬱になった。

 

鬱になって働けなくなったのか

仕事を辞めてから鬱になったのかわからないが、

仕事を辞めた。

 

一馬力だった我が家は火の車だったはずだ。

 

母はパートだった。

 

貯金を切り崩す日々に

情緒不安定な父に付き合う日々。

 

壮絶だ。

 

それでも母は娘たちに弱音を言わなかったし

家事はすべてこなした。

 

お恥ずかしい限りだが、

父が鬱だったことやその頃の生活について知ったのは

上京してからの事だった。

 

その頃も両親の

喧嘩にならない喧嘩は続いていた。

 

私は冷静に眺めていたものの

妹は喧嘩が怖いのか不安なのか

怯えていたので宥めた。

 

その頃にはなんとなく私の中で

もう父に話しても無駄だとわかってきて

離婚したかったら離婚していいよ!と母に言っていた。

 

母がここまで我慢していたのは

私たちのためだ。

 

私は不思議と寂しさはなかった。

 

娘と親の関係性は変わらないし、

離婚してもなんともないと思っていた。

 

今思うと金銭面も問題だったんだろう。

 

大学生になって

母の立場に自分を置き換えてみられるようになった。

 

父や祖母の性格、これまで見てきたもの総合して

私が母の立場だったら速攻家を出ていると思った。

 

私が大学進学すると同時に

妹も高校へ進学した。

 

そのタイミングで母は家を出た。

 

上京していた私は

そのことを後から知った。

 

一番お金がかかる時期、

相当な決断だったと思う。

 

私たち娘に

金銭的な事や泣き言を

一度も言ったことはないが、

その辛さと大変さは今ならわかる。

 

これも後から知ったことだが、

母は手足を患っていた。

 

ストレスからくるものだ。

 

手足を患い自分の体が動かなくなっては

娘たちが食べていけないと思い、

家を出る決断をしたという。

 

生い立ちを

少々語り過ぎてしまったが、

母には感謝をしてもしきれない。

 

一方で、私は母のように

人に尽くす自信がない。

 

相手に何かあった時、

身を削って添い遂げられる自信がない。

 

子供のためにあそこまでできるのか、

自信がない。

 

仕事も楽しいし

自分で稼ぐことが出来なくなったら不安だし

やりたいこともたくさんあるし

 

生い立ちだけが原因ではないのだが、

考えれば考えるほど

「結婚」の選択肢が遠のくのだ。

 

当時の彼の家に嫁ぐことを想像した時、

私は無理だと思ってしまった。

 

結局その彼とは

些細なことで別れてしまったのだけどw

 

今思えば、

自分のやりたいことを明確にしていれば

自分が仕事を続けることや

相手の家族と距離を保つことも

なんとでもなった

 

そこはトラウマが原因でもなんでもなく

自分の拙さだったなと、30過ぎた今は思う。

 

結局、よくわからない締めになってしまったw

 

結婚に前向きになれないのは

トラウマが大きな原因だと思っていたが、

そうでもなさそうだw

 

結婚というと

どうしても縛られるイメージがあったが

 

自分がどういいう相手と

どういう生活を送りたいかが

ハッキリしていれば可能なのかも、

という一筋の光が見えたw

 

ブログ始めてよかった!w

 

言語化することの大切さを

しみじみ感じております。

 

結婚そのものや

結婚のカタチ

子供を持つことについて etc

 

他にもいろいろ考えることがあるので

また別の機会に綴ろうと思う。

 

ずっと抱えていたコンプレックスのような

トラウマのようなものを吐き出したくて書き始めたが、

心情を書き起こす作業はなかなかしんどかった。

 

心の奥底には信頼できるパートナーと

添い遂げたいという思いがあるんだろうな

 

今日のところはこれでお終い。