Achan_11’s blog

気ままな日記

黒鉄の魚影がエモすぎた

劇場版コナンで過去最高傑作と言われる今作。

 

納得。

 

エモいって言葉、

普段使わんけど使わせてほしい。

 

なんなら激エモ。

 

個人的には去年のハロ嫁が

劇場版で歴代最高傑作だと思っていたのですよ!

 

警察学校組のエモさにやられて3回見たけど、

今回はまた違うエモさだった。

 

エモエモ言いすぎですねw

 

今回のエモかったポイントと今後の展開のキーになりそうな所を、覚えてる範囲で箇条書きのテンポで書いておこうと思う。

 

ネタバレあるので、以下ご注意を!

 

キールがニーナを追いながらも助けようと海に飛び込めと言うが、ジンに撃たれる。

 

・フサエブランドの整理券ラスト1枚を哀ちゃんがもらったが、後ろのベルモット扮したおばぁちゃんに譲る

 

・それを見ていた園子が、哀ちゃんにご褒美という名目でホエールウォッチングを手配してくれて、哀ちゃんも園子もいい奴!

 

・博士が自分もホエールウォッチングの人数に含まれてるか確認するところ可愛かったw

 

・赤井さん扮する昴さんが誰かからのメールを見ていた(これ反転してて読めなかったんですが、なんて書いてあったか分かる人います?キールから?)

 

・昴さんがコナンにパシフィックブイについて連絡。キールから連絡があったとのこと。

 

・コナンが警視庁の船に乗り込む。隠れてたコナンが乗っていることに黒田警視は気付いていたっぽい。そして送り返さずコナンを連れてパシフィックブイへ。

 

ピンガウォッカに哀ちゃんが拐われる

 

・蘭姉ちゃんがなぜか気付いてピンガと空手で戦う

 

・コナンと博士がピンガウォッカの車を追う。車ごと海の中へ入った黒の組織の車をコナンが潜って追う

 

・安室さんからコナンに電話があったが、コナンは出れず

 

・潜水艦の中で直美と哀ちゃんが対面。直美と哀ちゃんは同じ学校に通っていたことがあり、直美はいじめられていた時に助けてもらった過去を思い返して哀ちゃんは志保に似てると言う。老若認証システムで一致したからでもある。

 

キールウォッカが、直美と哀ちゃんの部屋に入ってくる。キールが私が縛ると言い、わざと抜けやすい縛り方にしていた。

 

キールが縛っている間に、哀ちゃんがキールのフードに盗聴器を入れる。キールもその事に気づく。

 

・直美はウォッカにシステムを渡すよう迫られるが断り、父が撃たれてしまう。

 

・その様子を見ていた哀ちゃんとキールは、自分の父や家族が黒の組織に殺されたことと重ね悔しそうだった。

 

ベルモット、バーボン、ウォッカキールシェリーと哀ちゃんが同一人物であるというシステムの結果を見ている

 

ベルモットがボス?にメールを打っている。老若認証システムを黒の組織が手に入れると都合が悪いよう。

 

ベルモットシェリーに扮し、世界各国で認証させ、誤認のあるシステムだと組織に示す

 

・ラムはボスの居場所を知らないよう。老若認証システムを使えばわかるかも、と思っているあたりボスの若返りや不老不死を疑っている?

 

・安室さんがコナンに電話。コナンは赤井さんに電話を繋ぎ、安室さんと赤井さんを喋らせる。赤井さんからは降谷零くん・バーボン呼びが聞けたし、安室さんもライゆーててなんかジーンときた。

 

・潜水艦が浮上したタイミングでコナンから哀ちゃんに探偵団バッジで連絡がくる。それを部屋の外でキールが聞いている。

 

・脱出しようとしているのがわかったキールは盗聴器をつけたまま、ウォッカに出口の情報を喋らせて哀ちゃんに聞かせた。

 

・哀ちゃんと直美が脱出する。躊躇する直美に、子供の言葉で変われることもあると哀ちゃんが諭す。私は変われた、だから信じて!

 

・脱出中の哀ちゃんと直美が出る前に緑のレバーを引こうとするジンをキールが止める。銃口向けられても怯まずに正論で返したキールかっこよすぎた。

 

・無事脱出し、迎えに来たコナンと合流

 

ピンガが逃げるところでの、コナンと佐藤刑事のごめんねもよかった

 

ピンガはコナンと工藤新一が同一人物であることを知っていた

 

・最後ピンガに爆破を知らせなかったジンは、自分を蹴落とそうとするピンガを葬るためか。

 

・赤井さんに狙撃させるためにコナンが潜水艦の位置を光で浮かび上がらせるシーン、純黒の悪夢を彷彿とさせた

 

・コナンが水中で気を失ってしまう。追ってきた哀ちゃんが必死に人工呼吸する。実質これはキス。14番目の標的が思い浮かんだ。

 

・コナンが息を吹き返し、減圧症にならないよう2人で手を繋いでゆっくり浮上する。この時間が哀ちゃんにとって幸せな空間に見えた。哀ちゃんは死を選ぼうとするが、コナンが止める。

 

・魚雷を交わすためのデコイをエラーにし、老若認証システムを破壊するためパシフィックブイごと爆破するベルモットの意図は、やはりボスと自分の若返りがバレるのを防ぐため!?

 

・パシフィックブイに上がったコナンと哀ちゃん。衰弱する哀ちゃんに人工呼吸をしようとするコナンくんを哀ちゃんは止め、飛んできた蘭姉ちゃんの唇を奪うw哀ちゃん的には、ここで蘭姉ちゃんに返すことで心の整理をつけた感じ。

 

・フサエブランドのブローチをつけたベルモット扮するおばぁちゃん。フサエさんとベルモットに何か関係があるのか。

 

・そういえば誘拐した直美をベルモットが物色していた時、ネックレスにしていた銀杏モチーフのUSBメモリはフサエブランドのものだった!?

 

・最後のイルカの置き物。みんなの人気者のイルカじゃなくてサメと自分のことを言っていた哀ちゃんの心境の変化が伺える。美しい鰭という曲名や歌詞からも、哀ちゃんが美しいと思えるようになったんだなと感極まる。

 

・今回は『銀』が多く出てくるらしい。

     アルジェント:イタリア語で銀

     銀杏:銀の文字

     ジン:GIN

 

覚えてるのはこれくらいかなぁ🤔

ばーっと書いたので、ストーリー順になってないところや曖昧なところがあるのはご容赦ください🙇‍♀️

 

今まで散々コナン見てきて

今回の映画で気づいたのですが、

Bell treeって鈴木ってことね😂

今更←

 

鈴木財閥絡むとやたらBell treeなんちゃらって出てくるな~思ってはいたのですが、映画見てピン!ときた🤣

 

また気がついた点があったら追記します!

皆さんも気になるところぜひ教えてください😆

 

#名探偵コナン #黒鉄の魚影 #雑記 #日記

#ハロウィンの花嫁

 

今朝

家を出てから駅までの道

 

ぱらぱらと雨が降ってきた

 

傘はないけどあと5分ほどで着く

 

気にせず足早に歩いていた

 

すると横から女性が

 

よかったら入りませんか?と

 

傘を差し出す

 

不意の優しさに慣れていなくて

 

一瞬何か勧誘でもされるのかと

 

強張った

 

他人の真っ直ぐな優しさに

警戒してしまうとは、、、

 

自分に少し悲しくなったが

有り難く入らせていただいた

 

ありがとうございますと言うと

お互い様ですからと。

 

朝から優しさに触れて温かい

 

昨日からギスギスしていた

心がほぐれた

 

助け合う時の

『お互い様』が私は好きだ

 

私も何か人に優しくしたいと思えた

 

いろいろあるけど

世の中捨てたもんじゃないと思わせてくれて

ありがとう

 

 

 

 

 

 

 

私の父

父の鬱と老後を考える。

私はかれこれ20年程、父との向き合い方がわからずにいる。

 

世の中にはうちよりも壮絶な家族がいるのは知っている。

大したことじゃない。

今まで目を背けてきた部分もある。

今もなお、どうしたらよいのかわからない。

だけど父も60になって、いよいよ無視できない問題になってきた。

 

うちの家族を複雑と言ってよいのかわからないが、

少し独特だ。

 

父はTHE昭和の亭主関白系おやじ。

母も父を立て、泣き言ひとつ言わない

我慢強い昭和の女性像に当てはまるのかもしれない。

 

父は話し合いというものができない。

母や家族が相談として穏やかに話しかけても

自分への攻撃と捉え、怒鳴り散らし物に当たる。

 

これだからお金の話、進路の話も

まともにできた試しがない。

 

幸い人に手を上げる人ではなかった。

 

私が中学生の頃だったと思うが、

父が鬱になった。

 

理由は会社への不満が溜まったことだったと思う。

父はストレスにうまく向き合えない。

 

会社の何が嫌なのか。

 

不満① 上司が自分を評価してくれない

不満② 自分より大卒の後輩が昇進していく

不満③ PCやメールなど、そんなの俺には出来ない

 

評価されるだけのことをしているのか、考えればいい。

子供の私から見ても、評価に値していなかったと思う。

そもそも上司や会社に自分の価値評価を依存していることが間違いだ。

不満があるなら、資格を取得するとか転職・独立するとか方法はあっただろう。

そういうことを考えられない人だった。

ただただ不満の中にいて愚痴だけで何もしない。

確かに合わない上司は存在するが、私が上司なら父を評価しない。

 

それでいて時代についていこうとしない人だった。

無理についていこうとする必要はないが、

仕事で最低限求められているデバイス

コミュニケーションツールを使いこなす努力は必要だろう。

 

それは仕事を円滑にするものだし、

相手ヘの心遣いでもある。

 

父はよくメールは打てないから電話でくれ、と

仕事の電話口で言っていた。

 

私に対してもそうだ。

父からの電話に出ないと怒られる。

だが、電話というのは相手のタイミング無視なのだ。

毎回かかってきたタイミングで出るのは無理がある。

父にメールしてと言うと、そんなのは俺には出来ないと。

 

きっと職場でもこういうスタンスなのだろう。

上司の気持ちも分かる。

 

うまく消化できずに自分の中に溜め込んで鬱になり、仕事を辞めた。

 

鬱になったのが先か、仕事を辞めたのが先かは覚えていない。

 

当時、一馬力だったのに辞めた。

娘二人、一番お金のかかる時期だった。

母の苦労は察するに余りある。

 

常々自分のことばかりだと呆れる。

 

また別の投稿で書こうと思うが、

紆余曲折あり、私が18で上京したタイミングで

母は高校生になる妹を連れて家を出た。

 

私が生まれ育った家に、父・祖母・祖父だけとなった。

 

母が出て行った頃の父は

鬱状態もそこそこ回復していて仕事もしていた。

 

母が出て行ってなお、父は理解していなかった。

ほとぼりが冷めたら戻ってこいなどと母に言う。

 

母からすれば「は!?」である。

 

それから十数年、祖父母が元気だった間は

さほど問題なかった。

 

ところが数年前、祖母が呆け始めた。

 

家事などしない父は、

母が出て行ってからも祖母に任せきりだった。

 

その祖母が呆けてしまったので

父は仕事をしながら家事を含め、介護生活を送ることになった。

 

相当に大変だっただろう。

そこでようやく思い知ったらしい。

 

自分ひとりの面倒を見ること

仕事をしながら家事をすることの大変さ

 

冷たい人間と思われるかもしれないが、

自業自得だ。

 

仕事をしながら家事と子育てをし

鬱の父の相手をしていた母の苦労を見てきた私は

そう思ってしまう。

 

加えて、祖母ももう長くないと分かったのだろう。

親を亡くす恐怖、自分一人になる恐怖が同時に襲ってきたのだと思う。

また鬱になった。

 

仕事が自由業なので長時間人と接することもなく、

働く時間も長くない。

それでいて話し相手の家族もいない。

 

一人になる時間が長いのだから

気を紛らわすこともできないのだろう。

 

私から言わせれば、時すでに遅しだ。

こういう未来を少しも想像しなかったのか。

 

今は祖父母も亡くなり、

鬱状態から脱しつつあった。

 

ところが今度は父自身の健康問題である。

全く重症ではないのだが、目が悪くなったり鼻が悪くなったりで

手術をすることになった。

 

小心者かつ合理的な考え方をできない人なので、

この程度でパニックだ。

 

近くに話し相手がいないからだろうが、

子供や兄弟に時間関係なく電話をしてくる。

 

出ればうじうじ考えても仕方のないことを

数時間聞かされる。

 

正直うんざりだ。

 

自業自得だと突き放したい気持ちと

独り身としては話し相手のいない寂しさもわかるので

相手してやるべきかという気持ちも少なからずある。

 

それでも根本的な解決として

父自身が精神的に自立してもらわないと困る。

 

精神科に通わせた時期もあるが、

自分が鬱だと分かりつつも精神科医は仕事で話聞いているだけだとか

薬に頼ると抜け出せなくなる気がすると言って薬も飲まない。

 

じゃあどうしろと?

良くなる努力をせずに人を頼るなと言いたくなる。

家族といえど、付き合いきれないという気持ちになってくる。

 

もとはといえば父自身が招いた顛末だ。

その性格を変えようとしなかったからだ。

 

少々当たりが強く見えているかもしれない、、、

ここに書いたことが全てではないので

どうしても怒りが込み上げてきてしまう。

 

父を精神的に自立させるには

どうすればよいのだろう

 

もう60年生きてきたのだから

今更変わらないのかもしれない

 

だとしたらどうすればよいのか

 

これから老後問題が待っていると思うと恐ろしい

 

自殺しないかという懸念もある

 

父との関わり方をもう15年くらい考えているが答えが出ない。

これまでは目を背けて流していればよかったが、

いよいよそうもいかなくなってきた。

 

ダーっと勢いで書いてしまったが、

同じ境遇の方や諸先輩方で何がご経験があれば

お知恵を借りたい思いです。。。

 

 

藤井風のライブに行ってきた

2/14 横アリ セミファイナル、参戦してきました!

 

風くんのライブは今回で2回目

 

全然当たらなくてようやく行けました

 

目に焼き付けたものを

残しておきたいのでレポ書きます

 

まず自転車に乗って登場(笑)

風くんらしくて微笑ましかった~!

 

アリーナの通路側だったのですが、

正反対の方向から登場してきて

こっちまで回ってくるかな~と

期待したけど来ませんでした(泣)

 

そしてステージへ

 

横アリのど真ん中で

ひとりグランドピアノで弾き語る姿は

言葉では言い表せないほど神々しかった。

 

風くんのステージを見るたびに思う

 

汚れたものとか負とか欲とか

全部そぎ落として

 

必要なものはいつもそこにあること

体現してる人だなって。

 

ピアノと藤井風、

それだけで成立してしまう空間

 

演出も装飾も削ぎ落して削ぎ落して

最低限のものだけ

 

Simple is the best って言葉すら

陳腐に聞こえるほど

本質だけがそこにあった

 

風くんの才能と努力があるから

成り立つんだよな~と

しみじみ。

 

風くんが酸いも甘いも経験しているのを

歌詞からも感じるけど

 

若くして悟りを得ているあの感じ、

すごいなぁ。

 

レポートから逸れてしまった(笑)

 

The sun and the moon

ガーデン

ロンリーラプソディ

 

確かこの後にご挨拶

 

Happy Valentine~と言われて

今日がバレンタインだと思い出す←

 

Are you alone?とw

大声でYES~って言いたかったわ!

 

Everyone is alone的な事言ってて

ふと「帰ろう」の歌詞が浮かんだ

 

みんな大丈夫ですか?

トイレ行きたかったら行っていいし

しんどかったら座っていいし

自由にやってください

と風くんらしいお気遣い。

(※意訳です)

 

みんな人生いろいろあると思うけど

しんどいもの全部出していきましょう

的な、有難いお話聞いたのに

ニュアンスしか思い出せないぃぃ(泣)

 

「もうええわ」を

一緒に歌いましょうって

何回か風先生のピアノに合わせて練習♪

 

(会場)もうええわ~

(風)もっとだるそうに

(会場)もうええわ~

(風)もっと死にそうな感じで

(会場)もうええわ~

 

レッスン後、歌の前に

ピアノ弾きながら

嫌なもん全部吐いて~

キレイなもんだけ吸って~

って深呼吸さしてくれた。

 

まじセラピスト。

 

その流れで「もうええわ」

 

この曲も語りたいこと盛りだくさんだけど

一曲一曲語ってたら明後日になりそうなので

また今度!

 

続いて「旅路」

個人的に今回の「旅路」のアレンジ

とっても好きでした!

 

ここまでがピアノオンリーで、

この後バンドやダンサーが登場して

アップテンポな曲が続きます。

 

damm

へでもねーよ

やば。

優しさ

さよならベイべ

青春病

 

ノリノリな曲たちをライブで聞くと

たまらない~!

 

どのタイミングだったか

風様の映像が流れる時間があって、

これが最高にイケてるんですよ。

 

藤井風と赤って

なんであんなに合うんでしょうね。

 

海外の雑誌に載せたい感じ!

うぅぅ...言い表せぬのが歯がゆい。

 

きらり

燃えよ

まつり

grace

 

トークタイム

(風)子供~

(子供)風く~ん!と方々から可愛い声が聞こえる(萌)

(風)元気なお子じゃの~ゆーて

   年寄り~

(年寄り)3割くらい手が上がる

(風)どうかお互い気をつけていきましょう

   若者~

(若者)3割くらい手が上がる

(風)裏ピース

   中年~

(中年)3割くらい手が上がる

(風)おぉ結構おるな、よう分かりました

 

みんな嫌な事とかあると思うけど

最後には全部よくなるから、と

いつもの如く有難いお言葉をいただきました。

(一言一句思い出せなくて悔しい、、、)

 

風くんが言うとなぜか

信じられてしまう

 

彼の言葉とトーンで

全部包み込んで浄化してくれる

 

風くんの曲に触れるたび、言葉を聞くたび、

見習いたいと思う

 

そして最後に「何なんw」

 

お土産にこの曲だけ撮影していいってことで

ばっちりスマホに収めて参りました!

 

お守りにしよう

 

ライブやテレビで「何なんw」見るたび

最後のアレンジが最高すぎ!ってなる。

 

毎回違うのに、毎回いい。

 

Youtebeでピアノアレンジをよく聞くんだけど

その中で好みのピアノがあって。

 

たぶんアレンジの好みなんですが、

風くんのピアノはテクニックは言わずもがな

癖がなくてアレンジの仕方に偏りがないのが

天才だと思っていて。

(素人が語ってすみません)

 

どんだけ引き出しあんのってくらい

次から次に色んなパターン出てきて

 

作り込んできたものなのか

その場のアドリブなのかわからないけど

毎回度肝抜かれる。

 

「何なんw」の最後の部分のアレンジ集

全公演分集めてDVDにしてくれないですかね(求)

 

ユニバーサルミュージックさーん!

どうかお願いしますっ!!

ヘンレコさんにお願いすべきなのか!?w

 

あ、トーク集もいいな。

 

もう語り尽くせぬのでこれくらいにしよう。

風くん友達がいないので風友(かぜとも)が欲しいー!

語り明かしたーい!

 

藤井風って、不純物ゼロよね。

そんな人になれるように

私も透明度増し増しで過ごそうっと♪

 

今日のファイナル参戦される方、

楽しんできてくださいね~♪

 

 

『星降る夜に』にハマった人

ハマっちまった...

 

『星降る夜に』

 

今期のドラマ見る予定なくて

このドラマが始まることすら
知らなかったんですがね、

 

ある夜ぼーっと
テレビをつけたわけですよ。

 

そしたら
北村匠海が手話してるじゃないの!

 

なんだsilentの二番煎じか、

吉高由里子もそんな好きじゃないし
と思いながらも

 

助産師役で

日頃自分が考えてることが描かれてたりして
なんだかんだ1話見ちゃったわけ。

 

見終わった感想



めちゃ好み←

 

え、なんだろ。

何か刺さる。

 

ストーリーもさることながら

北村匠海が良い!

ビジュアル含めてとてもハマり役!

ぐいぐいくるのに真っ直ぐな男の子ってのがツボ!

下心丸出しな顔がいい←

北村匠海だから成立する、なんとも言えぬ絶妙な下心感(語彙力w)

 

あたしゃ思い出したよ。

こういうのがタイプだったんだ←

 

本能的に好きなタイプっているじゃない?

だけどこの手のタイプはだいたいチャラいので、

うわ!好き!って思っても

蓋をしてきたのですよ。

 

でもこの歳になって思う。

好きになれる人がいない。

 

理性的になると

それって本当に好きなの?と

本能的な「好き」を超えられない。

 

色々とこじらせながら

お一人様生活を送ってきたわけだけど

 

好き!タイプ!

って思える機会が皆無なこの頃、

思うことはただひとつ。

 

本能に従っていいやん

後先考えずに人を好きになれるって

素晴らしいやん(アンミカ風)

 

経験上、好きなタイプといると

振り回されたり先が見えない事が多くて

無意識に予防線張って理性で蓋をしてきたんだけど、

今ならわかる。

 

好きなタイプと

添い遂げる自信がなかっただけなのでは、と。

 

だいたいその手のタイプはチャラいとかいう

先入観とカテゴライズもなんだよ、と

今更つっこみたくなる。

 

せかおわも言ってたよね

bad habitって。

 

失敗して傷ついて

その結果予防線張って

自分を守ってきたんだな~

 

無意識だったわ

防衛本能みたいなものかな

 

いつの間にか

それが重たい鎧みたいになってたけど

 

一周回って

人を好きになることがどんなに貴重か、

今しみじみ感じてる。

 

心の底から恋がしたい!と

眠っていたものを呼び覚まされたような、

そんなドラマだった。

 

しかも

吉高由里子が可愛すぎなのよ!

 

天真爛漫すぎるイメージがあって

あまり好きではなかったんだけど、

私が男なら絶対に堕ちる自信がある←

 

声と滑舌が可愛いのはもちろん、

あの裏表ない感じがキュンだよねぇ。

 

あぁ、由里子になりたい←

 

このドラマの効能

・枯れた心が潤う

 

ストーリーもまた

毎回考えさせられるのよね~

 

子供を持つこと

人それぞれの人生があって

様々な選択があるわけで。

 

扱われるテーマが

自分のコンプレックスとか

個人的にずっと考えてたことだったりして

共感するんだなぁ

 

そこもハマった要因

 

今日も良きお話でした。

 

ばいちゃ。

いつから結婚できない女になったのか

10代の頃。

 

20代で結婚し、子供を産んで

生活していると思ってた。

 

田舎生まれ田舎育ちの私は、

何の疑いもなくそんな未来を描いていた。

 

18で大学進学の為、上京。

 

親元から離れた生活

徒歩圏内で買い物に行ける街

日本中から人が集まる東京は

刺激的だった。

 

大学生になり、恋人もできた。

色々あったが、3年くらい付き合った。

 

20代になって

しばらくは結婚について考えることがなかった。

 

とにかく

今の環境、友達、恋人といる時間すべてが楽しくて

それが永遠に続くかのように思っていた。

 

3年生になって就活が始まり

嫌でも自分の人生と向き合うことになる。

 

そんな時、

子供が出来て休学した友達がいた。

 

この頃から少しずつ

「結婚」が現実味を帯びてくる。

 

自分事として考えるようになってきた。

 

私自身すぐに結婚という話もなかったが、

色々と想像した。

 

彼は、同じ大学生。

何かと考えすぎる私と正反対で、

いつも笑わせてくれる人だった。

 

彼の実家は江戸時代から続く農家で

車で移動するほどの土地があった。

将来は家業を継ぐと言っていた。

 

彼の実家に遊びに行くこともあった。

家族仲がとてもよくて

結婚したらこの敷地内に家を持って

この輪に入るのだろうと想像できた。

 

端から見れば申し分ないのだが、

私にはトラウマがある。

 

少し私の生い立ちの話をする。

父方の祖父、祖母、父、母、妹、私の6人家族だった。

 

私が幼い頃、

一軒家の一階に祖母が、両親・私・妹は2階に住んでいた。

当時、台所とお風呂は離れにあって、昔ながらの土間って感じだった。

祖父はそこに住んでいた。

 

母は嫁いでから専業主婦となった。

自分が寂しい思いをしたから子供の側にいてあげたかったんだそう。

 

祖父と祖母はいつも

些細な事で怒鳴り合いの喧嘩をしていた。

 

祖父は大酒飲みで

理不尽に手をあげることはなかったが、

祖母が口悪いので手を上げては

父が怒鳴って止めに入るのが日常だった。

 

私が小学生の頃に、新しい家を建てた。

 

祖父と祖母が1階に、私たち4人は2階に住んだ。

私と妹にも部屋が出来た。

 

父は昔の亭主関白そのもの

祖母はTHE・田舎の小姑で

近所の噂話を聞いてはそれを言いふらす

タチの悪い婆だった。

 

と言いつつも、

この頃まではわりと順風満帆だったと思う。

 

私が高校生の頃だったかな。

 

両親の喧嘩が多くなった。

喧嘩の理由は、お金のこと。

 

詳しく聞いたことがないので定かではないが、

子供の目から見た限り

母が相談しようと父に話しかけると

そんなことは分かってる!うるせぇ!と怒鳴り

茶碗をぶちまける、毎回そんな感じだった。

 

父は暴力こそ振るわないものの、

物に当たる人だった。

 

昔から父は話し合いというものが出来ない。

何か気に障ることを言われると

怒鳴って突き放す、そういう人だった。

 

壁には汁物が飛び散り、茶碗が転がる。

 

この頃の私は意外と冷静で

なんで父は話を聞かないのか、

母ももっと怒ればいいのに、と思っていた。

 

子供ながら、

間に入ってみたこともある。

 

ママが話したいのはこういうことで

パパを責めているわけじゃないのに

どうして話ができないの、と。

 

子供には分からない、黙ってろ、と言われ

まぁ子供に言われたくないよな、と思いつつ、

この頃には親が思っているよりも

子供は客観的な目を持っているものだと

我ながら思っていた。

 

母は怒らない人だ。

本人曰く、結婚するまで怒鳴り合いの喧嘩を見たことがなかったから

どうすればいいのかわからないのだという。

 

加えて、前述の通り

話しても無駄だ、という諦めが先にきてしまうのも分かる。

 

結局まともな話し合いなど一度も出来ず、

父が言い放った「お前が働けばいいだろ!」の言葉を聞いてか

母が働きに出るようになった。

 

ちなみに父は家のことは一切しない。

 

母は専業主婦の頃から

家事をしっかりやる人だ。

夫や子供の為に尽くす人。

 

だからなのか、

お恥ずかしながら私は

自分のことは自分でやるというのを

知らなかった。

 

母は働きに出てからも

朝は父と娘二人のお弁当を作り、

帰ってきてからも夕飯・洗濯・アイロンと

家事全般抜かりなくこなした。

 

私は気づけなかった。

これがどんなにしんどいことか。

 

少し夕ご飯が遅くなった時に

母に言ってしまったことがある。

 

「だってママの仕事でしょ。」

私の一生の後悔だ。

 

これまたお恥ずかしい話なのだが、

私はそれまで人の立場になって

考えるということを知らなかった。

 

母が何不自由なく何でもしてくれたからだ。

おなかが空けばご飯が出てきて、

食べ終ればお風呂が沸いていた。

 

その言葉を言った瞬間に

ようやくハッとした。

 

次の日から

母の帰りが遅い日は

夕飯の支度をするようにした。

 

この頃、母はよく洗濯物を畳みながら寝てしまっていた。

今思えばそれも手伝えばよかった。

後で聞けば、この頃の睡眠時間は毎日3時間程だったそう。

 

つくづく弱音を吐かない人だなぁと思う。

 

そんな日々が続いた後か前か

今となってはわからないが、

この頃父が鬱になった。

 

鬱になって働けなくなったのか

仕事を辞めてから鬱になったのかわからないが、

仕事を辞めた。

 

一馬力だった我が家は火の車だったはずだ。

 

母はパートだった。

 

貯金を切り崩す日々に

情緒不安定な父に付き合う日々。

 

壮絶だ。

 

それでも母は娘たちに弱音を言わなかったし

家事はすべてこなした。

 

お恥ずかしい限りだが、

父が鬱だったことやその頃の生活について知ったのは

上京してからの事だった。

 

その頃も両親の

喧嘩にならない喧嘩は続いていた。

 

私は冷静に眺めていたものの

妹は喧嘩が怖いのか不安なのか

怯えていたので宥めた。

 

その頃にはなんとなく私の中で

もう父に話しても無駄だとわかってきて

離婚したかったら離婚していいよ!と母に言っていた。

 

母がここまで我慢していたのは

私たちのためだ。

 

私は不思議と寂しさはなかった。

 

娘と親の関係性は変わらないし、

離婚してもなんともないと思っていた。

 

今思うと金銭面も問題だったんだろう。

 

大学生になって

母の立場に自分を置き換えてみられるようになった。

 

父や祖母の性格、これまで見てきたもの総合して

私が母の立場だったら速攻家を出ていると思った。

 

私が大学進学すると同時に

妹も高校へ進学した。

 

そのタイミングで母は家を出た。

 

上京していた私は

そのことを後から知った。

 

一番お金がかかる時期、

相当な決断だったと思う。

 

私たち娘に

金銭的な事や泣き言を

一度も言ったことはないが、

その辛さと大変さは今ならわかる。

 

これも後から知ったことだが、

母は手足を患っていた。

 

ストレスからくるものだ。

 

手足を患い自分の体が動かなくなっては

娘たちが食べていけないと思い、

家を出る決断をしたという。

 

生い立ちを

少々語り過ぎてしまったが、

母には感謝をしてもしきれない。

 

一方で、私は母のように

人に尽くす自信がない。

 

相手に何かあった時、

身を削って添い遂げられる自信がない。

 

子供のためにあそこまでできるのか、

自信がない。

 

仕事も楽しいし

自分で稼ぐことが出来なくなったら不安だし

やりたいこともたくさんあるし

 

生い立ちだけが原因ではないのだが、

考えれば考えるほど

「結婚」の選択肢が遠のくのだ。

 

当時の彼の家に嫁ぐことを想像した時、

私は無理だと思ってしまった。

 

結局その彼とは

些細なことで別れてしまったのだけどw

 

今思えば、

自分のやりたいことを明確にしていれば

自分が仕事を続けることや

相手の家族と距離を保つことも

なんとでもなった

 

そこはトラウマが原因でもなんでもなく

自分の拙さだったなと、30過ぎた今は思う。

 

結局、よくわからない締めになってしまったw

 

結婚に前向きになれないのは

トラウマが大きな原因だと思っていたが、

そうでもなさそうだw

 

結婚というと

どうしても縛られるイメージがあったが

 

自分がどういいう相手と

どういう生活を送りたいかが

ハッキリしていれば可能なのかも、

という一筋の光が見えたw

 

ブログ始めてよかった!w

 

言語化することの大切さを

しみじみ感じております。

 

結婚そのものや

結婚のカタチ

子供を持つことについて etc

 

他にもいろいろ考えることがあるので

また別の機会に綴ろうと思う。

 

ずっと抱えていたコンプレックスのような

トラウマのようなものを吐き出したくて書き始めたが、

心情を書き起こす作業はなかなかしんどかった。

 

心の奥底には信頼できるパートナーと

添い遂げたいという思いがあるんだろうな

 

今日のところはこれでお終い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トイレが詰まった

昨夜

 

トイレを流した後、

少し水が多い?と思ったが、

流れたのでひとまず放置←

 

今朝

完全に流れなくなった。

 

気のせいではなかった。

 

最近トイレットペーパーをダブルにしたのだが、

シングルの要領で巻き取って流したのが

原因と思われる。。。

 

家にスッポンがないので

まずはスッポン以外でできることを検索。

 

Google様様。

 

40度くらいのお湯を流してみるとか

洗剤を流してみるなどしたが

効果なし。

 

仕方なく

スッポンを買いに行く。

 

帰宅して、いざ!

 

今の家では初めてだが

過去にスッポンを使った経験はある。

 

感覚を思い出しながら、やってみる。

 

30分ほど格闘したが

うんともすんとも言わない。

 

何より手応えがない。

 

腕が鈍ったか!?

 

仕方なくスッポンのコツを調べる。

 

Google様様。

 

スッポン経験者のブログなどを拝見するも

洋式の場合はこうとか

角度はこうとかいう情報しか見つけられず、

 

そうこうしているうちに

以前、洗濯排水がうまく流れなかった時

動画が役立ったことを思い出した。

 

さっそくYoutubeを見る。

 

すると一目瞭然。

 

業者さんの的確な対処と

水撥ね防止のコツまで出てきた!

 

ポイントはこうだ。

 

①スッポンは押し込む力で詰まりを取るのではなく、

 引く力で詰まりを取ること

 

②スッポンのゴムの部分が水に浸かっていないと

 圧が弱くなり効果が薄いこと

 

③水が飛び散らないように

 ごみ袋などビニールシートの真ん中に穴を開け、

 そこにスッポンの柄を通して便器に被せると良いこと

 

 

物は試し。

 

ゆっくり押して、強く引く。

 

するとゴボッと水音が!

 

さすがはプロの情報。

水位はまだ変わらないものの

動画を見る前とは手応えが違う。

 

力を込めて勢いよく引くので、

確かに水が飛び散る。

 

なるほど、

ごみ袋のビニールガードは必須だ。

 

何より飛び散ることを気にせず

力を込められるのが良い。

 

なかなか手強かったが、

引く度に排水管の奥から水音が聞こえるので

あと数回やれば解消されるだろうと思い

繰り返す。

 

ゴボッ

 

流れた!!!

 

嬉しや~!!!

 

Youtube様様!!

ありがとう~!!!

 

 

と喜んだのも束の間。

 

なんとお風呂場に逆流してきたではないか!

 

Nooooooooooooo~

 

家は賃貸なのだが、

入居して数日で洗濯排水が流れず

水道業者を呼んだことがあった。

 

その際、業者さんに

前にも洗濯水が流れないことがあったが、

トイレを流したら流れたという話をした。

 

すると、以前に階下の人は

トイレを流したらお風呂に上がってきたらしい。

 

構造が悪いのかもしれないですね、、、と

業者が言っていたのを思い出した。

 

勘弁してくれ、、、と思いながらも

放っておくわけにはいかない。

 

素人発想だが、

スッポンをお風呂場でも試してみる。

 

先ほど要領を得たので

もうお手の物。

 

数回やって流れた。

 

汚水なので除菌をしまくり、

トイレと洗濯機の方へ逆流していないか確認。

 

 

休みの日でよかった、、、

 

そんなこんなで半日が終わってしまったのであった。

近いうちに引っ越す決意をした。